CHAPTER.2高校時代~大学時代
高校時代
苦しい環境の中、自分の道を探しもがいた時代
そうはいっても望んだ学校ではない学校で過ごすあまりの屈辱感で、入学しても、何かに打ち込む気になれず、東京でふらふらしていたところ、オーディションに誘われ、芸能プロダクションに所属。
学校では、特別進学クラスで朝から晩まで授業。芸能活動禁止だった厳しい学校だったにもかかわらず、学校に内緒で 休日と放課後は、舞台稽古にレッスン、劇団活動を続けるなか、ミュージカル公演では主役に抜擢。これをきっかけに、バンドからスカウトされ、ライブハウスで歌う事になる。しかし、学生でこの生活を維持するのは、大変だった。スケジュール表が書かれたビジネス手帳のようなノートが今でも涙の跡とともに残っている。
学校で芸能活動がばれたとき、呼び出され、「二足の草鞋は成功しない」と何度も言われ、芸能事務所では、「君はどうなりたいのか?中途半端な気持ちならやめてしまえ!」と言われ続け、自分で自分の道を決められない、やりきれない思いだった。大人に対して腹立たしく思い、誰にも分かってもらえず、苦しんだ時期。
自分なりに色々なことを模索している中、父の大阪への転勤が突然決まる。
東京での活動はすべて許されず、当時の自分には親を説得するほどの決意も持てず、泣く泣く大阪の大学に進学。同じ時期、芸能界の厳しい現実にも直面し、自分が何もかも捨ててこの世界に飛びこむ勇気も持てず、結局自分に負け、夢を諦めた。
大学時代
夢が壊れ自分の進む道が
見えなくなった迷いの時代
目標を失い大学生活にやりがいを見出すことが出来ず、学園祭など学校行事に関わったりはしたが、情熱を傾けられるようなものもなく、迷いの中に入った。アルバイト先で事件に巻き込まれたり、病気が発覚したり、命を落としてもおかしくないような事故にあったり、家族の問題や、警察沙汰も自分の身に降りかかってきた。その時、同級生が留学する話に刺激を受け、何か脱出するきっかけがほしくて、親の反対を押し切り、住宅販売会社でアルバイトをして資金を作り、アメリカ西海岸に留学を決める。
アメリカ留学
初めての海外での生活で
大きな気づきと学びを得る
初めての海外、一人で向かったロサンゼルス、乗り継ぎの飛行機に乗り遅れ、荷物だけが空港に届いて本人は来ない、迎えにきた人たちに心配をかけまくる、という事態から始まった。海外での生活は、まさかの出来事の連続だったが、自分の夢が膨らみ、家族観や、人生観に大きな価値観の変化を起こした。言葉の壁をこえ、意思疎通を図り、心の交流ができたことで、日本に帰ってから色々な事に積極的になれた。言葉が通じるなら、何も怖くないと思え、コミュニケーションの取り方が変わった。海外で必要だった明確な意思表示ができるようにもなっていたことも、自分を変える事につながった。
帰国後、冬休みは栂池高原のペンションで住み込みのアルバイトをし、スキー三昧。雪山を愛する人たちとの交流の日々は、色々な生き方を知り、自分の世界を広げてくれた、エキサイティングな毎日だった。そして、人間観察をするには、最高の環境だった。
夢を一度諦めたとはいえ、表現する世界から離れられず、エキストラ出演をしたり、テーマパークのプロモーションビデオに出演、雑誌読者モデルになるなど、関西でも、芸能活動にかかわる。
しかし、自己成長はしたものの、結局何がしたいのか見つけられず、衣食住にまつわる会社に就職すれば何か人生の役に立つだろう、くらいの考えで就職活動。東証大証一部上場の商社に就職。大阪アパレル事業部に総合職で入社する。