人は自分の鏡となってくれる
- 2019年09月26日
- つぶやき, 日常M
人のことは、分かるんだよね。
自分のことは、見えない。私の仕事は、その鏡の役をやったり、
鏡を置いたりすることだったりする。
いつも人を通して一番成長しているのが自分なのだと、気づかされ、
人のことを仕事にしているのは、未熟な自分を成長させたいから
なのだと思う。
最近自分の言葉に、自分がはっとさせられる。
けがをして、「自分では何もできず、人に頼るしかなく、それが嫌で仕方ない。
罪悪感にまみれ、そんな自分にも腹が立つ」
と話す人に、「罪悪感ではなく感謝なんちゃう?ありがとうやろ」
「人は、助けたことに申し訳ないと思われるより、感謝される方が報われる」
「お互い様のありがとう。の世界をつくっていくことちゃう?」
と言っていた。
しかし、自分もそんなところがある。
これまで、思いや、ミッション、志 仲間 ・・そういったことを軸に
人と関わる度に、別れが必ずやってきて、勝手に傷ついていた自分がいた。
その数半端ない (笑)
だから、条件を決めたり、お金で割り切ってきた。仕事となったら、人に本気になり、
踏み込めるが、仕事でなければ、人には踏み込まないし、それどころか、距離を置く自分がいる。
なんとまあ、矛盾している。
最近、私自身が、数年前のやり取りの中で、勝手に心を傷めて、話ができないままになっていた
10年ほどの付き合いになる仲間と、久しぶりに再会して話をする機会ができた。
ちょうど、そんな話をしていたら、
「みかさんに、その冷たさを感じたことありますよ!」って言われて
やっぱりそっか・・(苦笑)と思った。
人の思いは本当に嬉しいって思っている。しかし、人の思いを受け取ることを嫌がる自分がいる。
自分の中に、「罪悪感」が沸きあがって止まらないし、そんな自分を責めてしまうから。
めんどくさい!と一人で切れたり。
そしたら、その日やっていたセミナーの受講生が「めんどくさい!こんなん、全部やめたい!」
と言い放つ場面が・・
・・・・わかる、わかる。
最近、再放送のドラマの”おしん”をみていて、イライラするのもそれかもしれない。
頑固に人の好意を受け取らず、自分で頑張ろうとする姿は、たくましく、素晴らしいが、そのせいで
どんどん窮地に追いやられ、人と育まれていくものが、育たず、
好意や思いを受け取ってもらえなかった人の落胆している気持ちがわかるから、イライラするのだろう。
「相手の成功のためや、成長のため」だったら何でも言えるのに・・
自分事となると、頭で分かっていても、何かをやってもらう度に、罪悪感を掴む自分がいて、
不調和を生みだし、精神的に疲れてしまい、体が壊れる・・
ひとことでいうと、分かっているのにできない、あほの悪循環!
生きるということは、学ぶということ。まさにそうですね。終わりがない。
私がやり続けてないと、人に言えないから、人というものの進化成長を学び続けていくんだと思います。
私にとって、先日の秋分祭は、この負のスパイラルから抜け出すことがテーマでした。
バリ島のワークから、続いている自分の課題に向き合う今日この頃です。