OFFCIAL BLOG
Adventure of my life

「仕事」の記事一覧

ふっきれた日

気が向いたとき、SNSには長すぎる、そんな時
ブログは、思いのまま独り言のように書いている(#^^#)
久しぶりに開けたら、2024年初めての投稿だ~(笑)
あはは・・ちょっとグダグダ長く書いてみる。

そう、去年の2月にきっかけをもらい、4月からバンドに入れていただき
ボーカルを引き受けることになって、間もなく1年になろうとしている。
早かった・・・。

でも、この1年は、忘れていた感覚を思い出し、
久しぶりに自分と向き合い、戦う1年になった。
大げさだが自分にとって大きなことだった。
仕事ではなく、趣味の世界でこんなことになるとは💦

改めて、この神仕組みに頭が下がる。

先週、大阪でライブがあり、そこには、34年前
人生を変えるきっかけとなったリーダーシッププログラムを
一緒に受けていたメンバーが応援に来てくれ
た。
久しぶりすぎたが、みんな全然変わってなかった(#^^#)

そして、新しい事業を始めたときから、ずっと支えてくれている
スタッフも来てくれていた。

私にとって大事な人たちが、客席にそろって座っていた。
それだけで、ステージに立つ前から泣けてきた。

18歳まで志していた、歌と踊りの世界。
おかげで、学生時代の思い出は、苦しさと喜びと
憤りと辛さと、楽しさで満ち溢れてた。

中学生の時、受験失敗をきっかけに、
人生にやさぐれ原宿をふらふらしていて
スカウトにあった。
何にも考えず、
何か違う自分になりたくて、
芸能界、プロの世界に入り、夢を見た。

運がいいのか悪いのか、実力もない私に、大きな舞台をいただく機会に
恵まれた。受けるオーディションになぜか通り、舞台に立てば、主役級を
もらえる・・。一見すごいことですが、それは、とんでもない葛藤と苦しい毎日が
始まることになった。

この世界は、そんなに甘いものじゃない。天才のような人たちが星の数ほどいる。
毎日、稽古に稽古を積み、必死で頂点を目指している大人たちと、肩を並べて、舞台に立つ。
知れば知るほど、とんでもない世界だった。

練習しても練習しても、全然実力がつかない自分に腹が立ち、情けなくなり、
監督やマネージャーが言うことは、分かっても、その通りできない苦しみ・・。
多くの時間は学校で過ごす学生、人生かけてこの世界にいる人に
どれだけ頑張っても追いつけない。自分に対しての苛立ちは、半端なかった。

自分の失敗や、実力のなさは、私だけの問題ではない。
作品の完成度にダイレクトに影響する。その責任は、
メインボーカルや、主役、そういった機会を与えられれば与えられるほど、
重くのしかかる。

当時毎日学んだことを綴ったノートには、涙を落して、文字が滲んでいるページ
が何ページもある。

苦しかった。でもそれは、成長したいと思う思いからくる苦しみで、
嫌なことをしている苦しみとは全く質の違うものだったのは、今わかる。

キラキラ輝いていた場面と同じくらい強い影を体験した時代でもあった。
あのままやり続けていたら、自分はどうなっていたのだろう・・たまに思うが、
迷いの中にいると、全ての道を断たれることが立て続けに起こった。

転機だった。

関節が動かない・・病院で調べたら、生まれつきの障害だと言われる。プロとしては、無理ですね。の一言。
親の協力がもらえない・・親が大阪に転勤に。芸能活動は趣味程度しか許さないと言う親。
私を東京には置いていかないと。まただ、学生生活も芸能活動もどちらもしたい、選択ができない
自分には、援助がもらえなかった。

ミュージカルで無理して歌い続け、声が出ない、そして、声帯ポリープ。それがきっかけで、
声質が変わってしまう。

でも、これは外側の言い訳だと今は分かっている。
命一杯頑張ったから、自分の持ち合わせた才能や、力の限界を、プロの世界に入って思いっきり
突きつけられ、自分に負けた。 それは、心の深いところで分かっていた。
自分に負けたことを認められなかったのだと思う。

人には、無限の可能性があるとは言われるが、当時の自分は、持って生まれた才能には、叶わない。
私には、この世界でプロになるほどのものは、持っていない。悔しいけれどそう思っていた時に、
いろいろ続けられない事情がやってきた。

そうやって自分を責めたせいだろう、そのあと、大きな病気と向き合うことになる。

長々と書いてしまったけれど、この時代のことは、綺麗にパッケージ化して、思い出の中に
しまった。

そんなことを潜かに持っているから、ショービジネスに関わることになってからは、
裏返しで、何かと厳しい自分がいた。
素人のプロの真似事、バカ騒ぎ、身内ノリ、は大嫌いだった。
観ていて恥ずかしいわ・・って思う自分がいた。

素人であっても、人の前で人の時間をもらって表現するのであれば
それなりのものであらねばならない。そうじゃないのに出てくるな!

こんなことを思う人になっていた。

演劇もコンサートも誘われてもいかない。 

自分が挫折した世界で頑張っている人を見ていると、
自分にまた嫌気がさして、辛かったのだと思う。

今回、バンドに誘ってくれた友人は、
「素人だから、楽しくやったらいいねん。いつまでできるかわからないしな。」
って言ってはくれたが、いや~~~~。。

とブレーキがかかる自分と、人生この先、このままでいいのかな。と思う自分と葛藤した。
ボーカルがやめて、バンド活動を休止していて音楽活動を続けたいと思っている友人の気持ちと
趣味だったら、もうこんな機会ないかもしれないから、なぜか、やってみようと思えた。何度思い返しても不思議な選択だった。

そこまでは良かった。

しかし、1回目のライブで、自分の甘さを痛感した。

30年近く歌っていない、ちょっとカラオケで歌っているなんて、ボーカルマイクでは、
歯がたたない。ステージ上では音が取れなくなる。
踊ったりすると息が上がって音程が狂いまくる。高音に関しては、出ないに等しい、
ド初心者炸裂。
酷いものだった。バンドの皆さんに土下座したいくらい申し訳なかった。

私が最も嫌だと批判してきた、まさに、その存在に自分がなっていることが、受け入れがたく、
辛すぎた。

これが、自分に向き合うことが始まるきっかけとなった💦
18歳で封印した色々なことに、蓋が開いて、自分の中が大変だった。

1人自己啓発セミナーが始まったに等しかった。

神様こんなん反則やわ・・・(苦笑)

1年、毎回練習の音源聴くたびに落ち込み。ライブの動画で凹み。
自分に吐き気がする日々。なんかこの感じ、知ってる。

嫌で嫌で仕方がないのに、止められない。仕事忙しくても、練習する自分がいた。
これに驚きもした。1年こんな葛藤を散々やって受け入れた事。

私は、歌って踊ることが、大好きなんだと思う。自分が光の中心に入っていく感覚が広がって
魂と共鳴する感じがいつもする。

お客様と一体となって、一つの空間を創り上げること。
エネルギーが循環し、大きなエネルギーとなって
人を元気づけること。私は、それが楽しい。

でも、止まらないのが、上手い下手にこだわる。
そうすると、エネルギーは委縮していく。
知っているけどなかなかそこは手放せないでいるが、
それも受け入れた。

まだまだ、そんなに簡単に実力はつかないけれど、
今日、温かく応援しに来てくれた、大事な人たち
と共に過ごした時間が、自分の中の何かが吹っ切れた感じに
なった。

多くの人が、下手やな、素人やな、って思っていてもいいじゃない。
仕方ない、今の実力の最大限がこれだから。

そんなことより、たった一人でも、私のために、来てくれている人がいるのなら、
私は、その人のために、自分の持つすべてをかけて歌いたい表現したいと思う。

この30年仕事に必死になって頑張ってきた、これからもきっと手を抜かず
頑張っていく。
でも、ここから10年、もう、人生の時間をカウントダウンしていく年齢に
差し掛かってくることを思うと、もういいかな。
自分の世界を表現していきたい。

そう思うのでした。

10代の頃、過去に置いてきた自分と色々なことにブレーキをかけてきた自分
と共に・・・。

そして、日々色々なことがあるけれど、毎日がスペシャルで楽しいと言える。
10代の絶望していた自分に伝えたい。こんな未来に生きてるよと。

変わっていく時

人は、変化をしたいと言いつつ、変わらないことに安心しているんですよね。
だから今までと違うことがあったり、変化が起きるといい意味でも悪い意味でもざわつく(*^^)
自分の感覚にアクセスしていくと、去年から今年へのシフトは大きい。
もちろん、年齢的なこともあるけれど、自律して、行くべき方向へ進んでいかないと
時間が足りない・・。そんな感じになるのです。

コロナ前は、3年間インドネシアバリ島にて、自分を見つめる時間を仕事を通じてもらっていました。
この3年を経て、南国の島で、色々考えてきましたが、なかなか現実が動かなかった3年でもありました。
でも自分なりに、できることをして、準備してきたようにも思います。

春分を経て、何かがすっと、流れたように、エネルギーが流れていきました。
今年を元年とおき、これからの10年先に描いている未来に向けて、腹が座った感じです。
きっとその未来はある(#^.^#)
と確信できたので、動いていきますね。
目の前のことにまっすぐ取り組み、学び続けていきたいと思います。

20周年アニバーサリーにあたり

長かったような、短かったようなそんな20年を振り返る2022年が過ぎました。
会社としては、10年一節と言われますが、本当にそうでした。
前半の10年の事業をサポートしてくださった方、そして、その後の10年を支えてくださった方
人の流れはありますが、どの方々もきっと忘れることができない大事な方々です。
20年を振り返るVTRを作りながら、胸がジーンとする時間が何度もありました。

21年目を迎えるにあたり、年齢も経験も重ねた自分をこれからどう生かそうか。久しぶりに

じっくり考える時間を取っています。

今後ともどうぞよろしくお願いします。