「怪しいと思われる」
この考えにとらわれて、色々自分を守ってきた。
怪しいものってなに?
目に見えないこと?
何かを信じている集まり?
お金の臭いがするとこ ?
きれいごと?
自分と違う考え方?
結局、自分がわからない世界は、怪しいと思うってこと。
私は、たとえそれが詐欺だったとしても、本人が納得して、
いっときでも救われていたり、幸せだったら、それでいいのだと思います。
また、もし、騙されて酷い目にあったとしても、それは、
人生の教訓となるわけだし、どんな体験も意味のない無駄な
ものはない。
自分の人生は、自分で決める。なんだかんだ言うその人は、
言ってるだけで、結局なにも責任とってくれない。
親ですら、本当は子供の人生の責任はとれない。
周りはすべて、その人の正しさの主張と、価値観の押し付け
でしかない。
真実は自分の中にしかない。
もう、いいのでは。。
そう思えてきた。
私は、人を騙そうなどと、思ったこともない。
傷つけてやろう、落とし入れてやろなど、考えたこともない。
価値観が合わない人にも、否定や排除をせず、
わかり合おうと向き合ってきた。自分が直感で思うことを
正直に分ちあってきた。自分の中の誠実に従ってきたと思う。
これは怪しいのか?
目に見えない世界は、私には見える世界だった。
それが何かを確かめようと今でも学び続けている。
鵜呑みではなく、宇宙も自分も変化し続けているから、
半信半疑を心に置き、確かめることをしてきた。
痛い思いも損も沢山したが、今、困ったことに
はなっていない。必要な体験だっただけだと思える。
痛みから学ぶ必要がなくなったら、日々が平和になり、
喜びの中で学べるようになっていた。
本当のことは、自分の外にはない。内なる世界にある。
内なる世界が、現実に現れ、現実を通して内なる世界に
気づきと成長を促す。
宇宙は、そういう仕組みになっている。
半世紀生きてきて、自分が確信を得たこと。
誰もが、その法則の中で生きているだけだとわかってから
人生に右往左往しなくなった。
でも、その現実や自分の中の真実より、世間の声
や目が気になっていた。
しかし、なんとつまらない。生きる時間は限られている
のに、自分を生きるより他人に受け入れられる為に
生きてるって、もったいないって思えてきた。
伊勢神宮で、神々がどれだけ助けてくださっているか
身に染みてわかりましたので、もう、怖がって生きる必要はないと思えるようになりました。
私は、多くの人に指示される為に生まれてきたのではなく
私の様に、真理を追求し、本気で進化をしていこうとしている人
と出会い、自らを進化させる為に生まれてきたのだと、、。
命の時間を考えると、周りを気にしている時間はないなぁ。
真理を求めている人、探している人がいる。
また、繋がらなくてはならない場所や空間に出逢っていくことに、時間とエネルギーを注いでいかないと、間に合わないな。
そんなことを思う2019年になりました。
一年間、私に関わって下さった全ての方に感謝でいっぱいです。
ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。