OFFCIAL BLOG
Adventure of my life

与えるとは難しい

今日は、ある会社の役員であり、講師仲間の方とお話しをした。
年頭の目標に、「今年は与え尽くす」という目標を立てたそうです。
今年の取り組みを聞いた。

内容を聞くと、志同じくする人と、一緒に
ビジネス展開を図っていくということで、
自分の私財を投資して、リスクは彼が引き受け
取り組んでいるとのこと。

私では絶対できない内容だった。
素晴らしい。

しかし、「与える」とは難しいもので、
結果を見ないと答えはでない。

多くの中小企業を見ていて思う。

私は、魚の釣り方を教えることを、与えることだと思っている。
でも、違う人もいる。
魚を与えることで、不安な気持ちをなくし、
魚釣りに集中できるようにしてあげようとする愛情。

何を目的としているのかによる。

にもかかわらず、今日は、私も成功してほしい思いが強すぎて、
持論を言い過ぎてしまった。
反省。。。
どんな人も、色々考えてのこと。
やってみて、思わぬ成果も出るかもしれない。
求められてもいないのに、自分のあるべき論を、
主張してしまった。

個人的には、応援しているので、
この先に興味深々です。

すんませんでした。

大いなる流れ

昨日は、いろいろと決めることがあった。
多くの人の意見をまとめて決めるには
色々な要素が絡み大変。という
イメージがあるが、行く先に流れがあるときは
問題なく決まる。
びっくりする。昨日はさっさと決まっていった。

w(@@)w

流れがない時は、きっと止められているのだろう。
全く決まらない。
決めても、何かが欠けたり、だれかが100%じゃない。

先日、師匠が言っていた。
「今、人々の多くが自分で生きていると思っている事が強すぎる。
 生かされているということを、全く忘れている」と。

この言葉はよく聞いたことがある。でも、初めて、心にずっしりきた。
本当の意味が分かったような気がする。

そう、宇宙からしたら、天災起こして、命終わりにすることも、
簡単だろうし、奇跡の力を導き、助けることもできるだろう。

そんなことは簡単なのかもしれない。

生かされているのなら、自分のエゴや都合ばかり優先せず、
その流れをキャッチして生きることも、忘れてはいけないな。

同じ言葉を使っていても実態が違う

以前は、「なにがしたいか」とよく自分にも、他人にも
問いかけていた。

最近思う、何がしたい・・というと、
望みや希望の状態が続くだけ。

マジックな用語なのです。

では、どう考えるかというと、
「何ができるか」
で考えることの方が大事だと。

「あなたは何ができると思いますか?」

自分の魂は、本当のことを知っている。

必ずこれに答えが見つかる。
それをまず、することなのだと思う。

望んでいる状態で現実は動かない。

言葉というのはむつかしい。
それは、同じ言葉を使っていても
その本当の中身は違うことがよくあるから。
勘違いをする。

「何がしたいかを見つけたら、実現した」
という人も多い。

実現する人が使っている「何がしたい」
の実態は、もう、出来る!という確信があって
未来の事言っていることが多い。

来年旅行に行くと決めているのと同じ感じ。

「できたらいいな~いけたらいいな~、かなうと嬉しい」
というようなレベルではない。

実態が全く違うのに、同じ言葉が使われている。

確信をもってやり始めても、思いどおりなどならないのに、
スタートから希望と欲望だけでは、実現はしにくい。

望みすぎると、絶望が来る。
欲がすぎると、奪われる。

宇宙はそうなっている。